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2017年(平成29年)5月、「民法の一部を改正する法律」が成立しました。改正民法は、2020年4月1日から施行されます。民法には契約、取引等に関する基本的なルールが定められていますが(こうした契約等に関するルールを「債権法」と呼びます。)、この債権法は1896年(明治29年)に制定されてからなんと約120年間にわたって実質的な見直しがほとんど行われてきませんでした。今回の改正では、①約120年間の社会経済の変化への対応を図るために実質的にルールを変更する改正と、②現在の裁判や取引の実務で通用している基本的なルールを法律上明確化する改正が行われています。
民法は、「使用人の給料に係る債権」についても短期消滅時効を定め、使用人の給料債権は1年で消滅時効にかかるとしていました(民法174条1号)。もっとも、使用者の優位性から労働者が訴訟によってその権利を実行することの困難性を考慮し、労働者保護を図るため、労働基準法によって賃金債権の時効が延長されています。すなわち、労働基準法の適用を受ける賃金・災害補償その他の請求権は2年、退職手当の請求権は5年の消滅時効とされています(労基法115条)。
賃金等の請求権は労基法によって特別にその消滅時効が定められていますので、民法改正による見直しの必然性は本来ありません。もっとも、民法上の短期消滅時効が廃止されることとの関係で、もともと労働者保護のために労基法が消滅時効を2年に延長していたのであれば、もはや労基法115条はその役目を終えたのではないか?という議論が生じることになります。そこで、厚生労働省は、平成29年12月、「賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会」を設置し、労働法学者を中心とする議論をスタートしました。
そして、今年5月、この有識者検討会は、賃金等請求権の時効について、労働基準法で定めた2年を見直し、期限を延長する方向で議論をまとめました。「民法に合わせると労働関係特有の問題があって、5年ではまずいという議論は当然あると思いますが、・・・労働関係特有でこれをやっては非常におかしなことになるというような説得力のある論拠は余り示されてこなかった。そうなるとやはり民法に合わせて5年ということなのかと思います」との見解が有識者検討会のメンバーから示されています(令和元年5月27日労働新聞:労働新聞社)。
今後、労使の代表者が話し合う厚労省の諮問機関、労働政策審議会等で議論され、結論が出れば労基法が改正されることになります。現在の状況を見る限り、具体的に消滅時効が何年となるかは未定ですが、未払い賃金等の請求権の時効期間が延長する方向性はほぼ固まっている様相を呈しています。
民法改正に合わせるように賃金等請求権の時効期間を延長する方向性が示されたことは、労働者の権利を拡大するものとして労働者側からは歓迎を受けています。「労働者の権利の保護を図るべき」という考えにはもちろん異論はありませんが、果たして消滅時効を5年に延長することが適当といえるかは別に考える必要があります。
そもそも民法改正によって短期消滅時効(民法170条~174条)が廃止されたのは、職業別に短期消滅時効を定めることの合理性が保持できなくなったことによるものであり、この改正は賃金債権についての特別法である労基法115条の消滅時効期間を覆すことまで意図したものではありません。労基法115条は、確かに民法上の1年という短期消滅時効から労働者を保護する観点で2年へ延長したものですが、それが一般債権のように10年とされず、あるいは商事債権のように5年ともされなかったのは、使用者側への利益等にも配慮された結果であることを看過してはいけません。雇用契約は基本的には継続的な関係性を持つものであり、こうした継続的取引においては特に早期清算による早期の権利確定を図ることが法的安定性の点からは必須と言えます。労使の利害が調整された結果として賃金債権の消滅時効が2年と定められたことを考えれば、こうした事実を無視して一足飛びに「民法に合わせて5年」というのは、それこそ説得力のある論拠を欠くものではないでしょうか。
未払い残業代請求は、現在でも中小零細企業には大きなダメージを与えうる重大な問題と言えますが、請求期間が5年に延長されれば、その負担は倍以上となり、まさに企業経営にとっての死活問題となりえます。
ここで、労働組合や労働者側からは、残業代を払えないような企業、労基法を遵守できないような企業は守る必要はない、払うものは払って倒産すればいい、というような声も聞かれますが、思慮を欠く意見であって酌みすることはできません。
未払い残業代請求が企業を苦しめる根本的な理由には、労働法制そのものの曖昧さにもあるように感じています。労基法上の時間規制の対象となる「労働時間」とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」をいいますが、この労働時間該当性は、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まります。つまり、ある時間が労働時間にあたるか否かは、就業規則や労働契約の定め如何にかかわらず、その実態から客観的に判断されることになります。その結果、会社としては、たとえ賃金台帳どおりに賃金を支払っていたとしても、従業員から「休憩時間を所定どおりに取れていなかった」「あの日は実は遅くまで残っていて仕事をしていた」等々の主張を後から受けることになり、客観的な実態の証明活動が必要となります。また、会社としては任意であることを伝えていた準備体操や清掃などについて、「心理的な強制力があり労働時間にあたるはずだ」などと、まったく想定外の請求をごく一部の従業員から受けることもあり得ます。このように、「労働時間」というものが契約等によって明確に定まらず、客観的な実態の認定が必要となる結果、使用者としては予期しない残業代請求を受けることになるのです。このことは、管理監督者性、変形労働時間制、裁量労働制やフレックスタイム制などの弾力的な労働時間制度、固定残業代制度等の採用・運用においても同様です。様々な裁判例によって各種制度の有効要件等が論じられているところではありますが、法令の解釈が一義的ではなく、その複雑性から有効・無効は「終局的には裁判をしてみないと分からない」というのが企業側の実態と言わざるを得ません。
悪意・故意によって残業代の未払いを生じさせている企業も残念ながらゼロとは言えませんが、悪意なき企業がほとんどだと思います。有効だと信じていた制度が否定され、あるいは意図しなかった実態を労働時間だと主張された結果、未払い残業代を巡って紛争化することになります。使用者側の主張が否定され請求が認められたとしても、確かにそこには「過失」という帰責性はありますが、継続的な関係性の中で5年という長期間に渡って権利の上に眠らせることを許し、一方で使用者側にその間の責めを負わせることは、法的安定性を損ない、企業にとってはいささか酷ではないかと思わざるを得ません。
岐阜県出身。中央大学法科大学院卒業。経営者側に立った経営労務に特化し、現在扱う業務のほとんどが労働法分野を中心とした企業に対する法律顧問業務で占められている。分野を経営労務と中小企業法務に絞り、業務を集中特化することで培われたノウハウ・経験知に基づく法務の力で多くの企業の皆様の成長・発展に寄与する。
2019.06.26 | コラム
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